東京地方裁判所 昭和40年(ワ)556号 判決 1966年4月15日
原告 押見幸一
被告 株式会社 東京都民銀行
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し金一〇〇万円ならびにこれに対する昭和四〇年一月三一日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、訴外東京事務機株式会社は、東京法務局所属公証人松村禎彦作成昭和三九年第五八一号金銭消費貸借契約公正証書に基き、東京地方裁判所に対し、訴外日本金銭登録機株式会社を債務者、被告を第三債務者として、日本金銭登録機株式会社が被告に対して有する定期預金返還請求権のうち金一〇〇万円の債権差押ならびに転付命令の申請をし、同裁判所は昭和三九年三月二九日右債権差押ならびに転付命令を発し、右命令は同月三一日被告に送達された。
二、東京事務機株式会社は、右差押転付によって得た被告に対する金一〇〇万円の定期預金返還請求権を昭和三九年一一月一六日原告に譲渡し、同月一七日被告に右譲渡を通知した。
三、そこで原告は被告に対し右金一〇〇万円と、これに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四〇年一月三一日から完済に至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。」
と述べた。
被告訴訟代理人は、答弁として、「原告主張の請求原因事実中一は認める。二のうち原告主張のような債権譲渡通知がその主張の日に被告に到達したことは認めるが、その余の事実は不知。」と述べ、抗弁として、
「一、原告が主張する債権差押ならびに転付命令は、実質的に無効である。
二、すなわち東京事務機株式会社が差押えたと原告の主張する金一〇〇万円の債権は、右債権差押ならびに転付命令によれば「債務者が第三債務者株式会社東京都民銀行に対して有する定期預金及び定期積金の順序による預金返還請求権のうち、頭書の金額に達するまで」というのであるが、右債権差押ならびに転付命令が被告に送達された当時、日本金銭登録機株式会社が被告に対して有していた定期預金債権は口数六口、金額合計金三、二六四、二二〇円であって、原告主張の金一〇〇万円の定期預金が、そのいずれを指称するのか、これを識別することができない状態であった。
三、債権差押は第三債務者に対し、被差押債権の支払を禁止するという効力を生ぜしめるものであるから、被差押債権が数口あって、かつそれが特定されていなければ、右数口のうちどの債権について支払禁止の効力が生じたのか不明であり、この意味において被差押債権の特定ということは、債権差押における絶対的要件と解さなければならない。民事訴訟法第五九六条第一項が、「債権者ハ差押命令ノ申請ニ差押フ可キ債権ノ種類及ヒ数額ヲ開示スヘシ」と規定しているのも、これによって被差押債権を特定せしめようとする趣旨であって、単に種類と数額を表示すれば足りるというのではなく、同一種類の債権が数口ある場合には、さらにそれが特定できるような表示方法をとらなければならないことは当然である。ただ被差押債権の表示は一分一厘正確に表示されることを要するものではなく、第三債務者において取引の通念上おのずから識別できる程度に特定されていれば足ると解すべきであり、本件の場合のように数口の定期預金がある場合には、期日の早いものから、あるいは金額の多いものから順次差押えるというような方法で、被差押債権を特定することはかならずしも困難とはいえない。しかるに本件においてはそのような特定さえもなされていないのであるから、その債権差押ならびに転付命令は実質的に無効であり、したがって東京事務機株式会社がそれによって被告に対し、原告主張のような定期預金債権を取得する理由がない。
四、原告は、東京事務機株式会社が転付によって取得した定期預金債権を、右会社から譲り受けたというのであるが、該転付が前記理由によって無効であるかぎり、これを目的とする債権譲渡契約もまた無効であるから、原告が有効に債権譲渡を受けたことを前提とする本訴請求は理由がないこと明かである。」
と述べた。(仮定抗弁省略)
原告訴訟代理人は、被告の抗弁に対して、
一 被告は、差押にかかる預金債権が特定していないから本件差押は無効であると主張するが理由がない。
そもそも銀行は預金者保護の立場から預金の種類や数額はもちろん、その有無さえ第三者に明かにしない現状であり、預金の明細を明かにしこれを特定することは極めて困難である。故に債権者にこれを厳格に要求し、被差押債権者が特定しないという理由でその効力を否定することは、取引の安全を害し信義則上許されないことである。
二、本件において、訴外会社が、被告の主張する如く口数六口金額合計金三、二六四、二二〇円の定期預金をもっていたとするならば、その満期日は本訴提起当時全部到来しているものである。しかりとすれば、右定期預金は他に特段の事情なき限り一括して預金者に返済すべきもので合一して一体をなしており、あえて明細なる特定を要せず、差押転付当時の被告の主張する不特定による瑕疵は治癒されているものである。しかるに被告においてなお右瑕疵を理由としてその無効を主張することは、銀行の使命と信用とを旨とする性格に反すること甚しいものである。
三、被告がその仮定抗弁で主張するような取引約定が被告と訴外会社との間に存したことならびに被告が訴外会社に対し、被告主張のような債権を有していたことは知らないが、相殺の効力発生時については民法第五〇六条第二項にその規定があり、訴外会社と被告との特約によって右規定を排除することはできない。仮りにその特約が当事者間で有効であったとしても、第三者である原告にこれを対抗できず、相殺の効力発生時は民法の規定に従うべきである。けだし右特約は契約の効力の限界を出るものではなく、契約は第三者の権利を侵害し得ないからである。よって被告の相殺の効力の発生時に関する主張は失当である。
四、本件差押転付命令が被告に送達されたのは昭和三九年三月三一日であが、その当時に被告が訴外会社に対して有する債権のうち弁済期の到来していたものは、
(1) 昭和三八年一一月五日貸出金額七〇万円、弁済期昭和三九年三月五日
(2) 昭和三八年一一月一五日貸出金額七〇万円、弁済期昭和三九年三月一六日
(3) 昭和三八年一二月一九日貸出金額六四万円、弁済期昭和三九年三月二五日
の三口合計二〇四万円である。
故に被告主張の如く、転付の場合も民法第四六八条第二項が準用されると解しても、転付当時反対債権につき弁済期が既に到来しているもののみ対抗でき、それは右三口の合計金員についてである。しかるに右転付当時訴外会社は被告に対し合計三、一五一、八五二円の定期預金債権を有し、右相殺を以てしてもなお残額一一一万円余がある。したがって原告が差押転付により被告に右預金を請求し得ることは極めて明らかである。」
と述べた。
理由
一、訴外東京事務機株式会社が、東京法務局所属公証人松村禎彦作成昭和三九年第五八一号金銭消費貸借契約公正証書に基き、東京地方裁判所に対し、訴外日本金銭登録機株式会社(以下訴外会社という)を債務者、被告を第三債務者として、訴外会社が被告に対して有する定期預金返還請求権のうち金一〇〇万円の債権差押ならびに転付命令の申請をし、同裁判所が昭和三九年三月二九日右債権差押ならびに転付命令を発し、右命令は同月三一日被告に送達されたことについては当事者間に争がない。
二、被告は、右債権差押ならびに転付命令は実質的に無効であると主張するので、まずこれについて考えてみる。
三、右債権差押ならびに転付命令が「債務者が第三債務者株式会社東京都民銀行に対して有する定期預金及び定期積金の順序による預金返還請求権のうち、頭書の金額に達するまで」というものであること、および、右債権差押ならびに転付命令が被告に送達された当時訴外会社が被告に対して有していた定期預金債権は口数六口、金額合計金三、二六四、二二〇円であったとは、原告の明かに争わないところであるから、原告がこれを自白したものとみなす。
四、金銭債権の差押命令は、第三債務者に対し、債務者に支払を為すことを禁じ、また債務者に対し、債権の処分、ことにその取立をしてはならないことを命ずるものであるから、その差押命令は、債務者が第三債務者に対して有する債権のうちいかなる債権が差押えられたものであるかを他の債権から区別できる程度に被差押債権を特定して表示することを要することはいうまでもない。そのような特定を欠く差押命令は、債権差押の効力を生じないものといわなければならない。
また転付命令は、差押えた金銭債権を券面額で執行債権の弁済に代えて差押債権者へ移転する命令であるから、いかなる債権がいかなる範囲で転付されたかが不明であれば、その転付命令は無効であると解すべきである。
ところで、本件差押ならびに転付命令が被告に送達された当時訴外会社が被告に対して有していた定期預金債権は口数にして六口、金額にして金三、二六四、二二〇円であったことは前記のとおりであるが、前記差押ならびに転付命令によれば、右六口の債権のうちどの債権がいかなる範囲で差押えられかつ転付されたものか全く特定することができないから、右差押ならびに転付命令は無効と解さざるを得ない。
三、原告は、銀行は預金者保護の立場から、預金の種類はもちろん、その所有さえ第三者に明かにしない現状であり、預金の明細を明かにしこれを特定することは極めて困難であるから、これを厳格に要求し、被差押債権が特定しないという理由で、差押転付命令の効力を否定することは取引の安全を害し、信義則上許されない、と主張する。しかし、被差押債権の特定は、第三債務者が、いかなる債権がいかなる範囲で差押えられ、または移付されたかが識別できる程度になされていれば充分であって、例えば数口の定期預金があるような場合には、満期日の早く到来するものからあるいは金額の多いものから順次差押えるというような方法で特定できるものであることを被告主張のとおりである。そしてその程度のことであれば差押命令申請者に不可能を強いるというほどのことではない。原告の主張は理由がない。
四、原告はまた、被告主張の口数六口の定期預金の満期日は本訴提起当時全部到来しているものであるから、特段の事情のないかぎり一括して預金者に返還すべきもので合一して一体をなしており、あえて明細なる特定を要せず、差押転付当時の債権の不特定という瑕疵は治癒されていると主張するが、原告の訴提起当時被告の訴外会社に対する債務の弁済期が到来していたからといって、実体的に無効であった差押ならびに転付命令が有効になることはない。原告主張は理由がない。
五、以上のとおり、差押ならびに転付命令は実体上無効であり、右命令に表示された右訴外会社の被告に対する金一〇〇万円の債権は債権者である東京事務機株式会社に移転していないから、仮りに原告が、その主張のように右会社から右金一〇〇万円の債権の譲渡を受けたとしても、その債権が原告に移転するいわれはない。そうすると被告に対して右債権を有することを前提とする原告の本訴請求は、被告の仮定抗弁について判断するまでもなく失当であることが明らかである。よって原告の請求を棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。<以下省略>